- 去年の8月に書いた連載記事と同じ内容なんだが、読み返すとばらばらしてるな。
- ブログを更新。「展示会とは・来場者とは何か」序 http://amba.to/fjNARh
- エジプトでデモ鎮圧のために、いよいよ実弾を使い始めたようだ。悲しいな。
- 「見とれる」と「聞き惚れる」はそのものの「見え声」や「聞こえ顔」どちらかに強く支配されている状態。
- また、その「現」は常に分節され続けて(「見え声」と「聞こえ顔」により交互に支配され続ける)いると言える。そのどちらかだけに支配されている状態は「現」ではない。
- また、この「見え声」と「聞かれ顔」が交互に支配し続けている状況こそが「現」である。
- そしてこの「見え声」と「聞こえ顔」に対して同時に注意を向ける(支配しようとする)ことはできない。注意はどちらかの支配をそれぞれ断ち切ることでしか実行不可能なものだ。
- ひとは、何ものかを支配しつつ支配され続ける。なにものかを支配しようとそれに注意を向けることは、そのものの「見え声」と「聞こえ顔」に支配されることでもある。
- 先日考えていた「見え声」とこの「聞こえ顔」はその根を同じくしているもの。
- たとえば書き物をしている時には、周囲の物音が聞こえてはいるが輪廓があいまいなまま聞き流されてしまう(結果、何も聞いていない)のだが、隣室での物音に注意が向くやいなやそれまで聞き流していた空調音や窓外の物音までくっきりと顔を持って聞こえてくる。
- 自分に届くさまざまな音は、聞くもの(わたし)が注意を向けるたびにある「聞こえ顔(聞かれ顔)」となって際立つ。キッチンで本を読んでいて、湯の沸くカタカタという音に注意を向けたとたんにその顔の輪郭をはっきりさせてくる。
- いきなり料理に缶を置いて撮しているところが斬新だ。 RT@jai_an: 気まぐれに、コーンとグリーンピースもぶっ込む。また混ぜて炒め続ける。 http://twitpic.com/3ug35e
- これは炒めタマネギを冷凍ストックしておくと便利です。 RT@jai_an: 次にたまねぎを炒める。 http://twitpic.com/3ufwba
- 映画「ESCALIER C(C階段)」を思い出します。 RT@kit_tabun: 墓のいらない散骨派がどれだけいるか知りたい RT 「直葬」が増えてきて葬式そのものが廃れていく。 RT@kit_tabun「死者のホテル」http://exci.to/epgzOQ
- こんな感じですね。http://bit.ly/gHNWYD RT@t_satoko: えっ、知らなかった。RT@softmay: はい、本当は、うひょー、と略 RT ペンギンの鳴き声って実はすごい RT@akappamaru: 鳴き方違w RT@softmay: にゃお。
- ペンギンの鳴き声って実はすごいです。 RT@akappamaru: 鳴き方違いますよw RT@softmay: にゃお。
- 「直葬」が増えてきて葬式そのものが廃れていく。 RT@kit_tabun: 首都圏で開業相次ぐ「死者のホテル」1泊7350円~ http://exci.to/epgzOQ RT@aoinatsunosora: 教師は子どもが好きで、医者は病人が、そして坊主は死者が好き。
- 教師は、生まれ出でてこれから世に出て行く子どもに関わり、医者は病気でこの世から去らない事に気を配り、坊主はこの世を去ったものの冥福を気にする。みんな誰かの「この世」との関わり商売。
- 教師は子どもが好きで、医者は病人が、そして坊主は死者が好き。
- チュニジアが「ジャスミン革命」ならエジプトは「ウォーターリリー革命」なのかな。
- エジプトみたいな民衆蜂起力は、日本にはもう無い。
- 来週の横浜での展示会にはインフルエンザも全快しそうだな。
- @twitsusumujp 多謝です。
- 再掲。 RT@aoinatsunosora: 【急募】バレンタイン前に出張料理教室(チョコレート作り)が可能な料理の先生1名二日間。ギャラ応相談。場所は千葉です。
- 駅-駅で5kmちょっとですね、歩くのに面白い距離です。 RT@naokikobayashi: 乃木坂から目黒まで、歩いたら、楽しい。
- TLでひとが誰かから何か教わっていることを横目でパクる。
- めったに会わない友人への生存表明に便利です。いわばオンラインで日々更新される名刺か年賀状みたいな。 RT@reflectionT: facebook よくわかんない。存在が。おかげでほめることもけなすこともできぬ。
- いや、「目の耳を澄ませ」とでもいうような事です。 RT@mikishiho_: 人の意見に注意を向けるということでしょうか。RT 自分の視界にあるさまざまな見えるものは、見るもの(わたし)の注意が届くたびに「見え声(見られ声)」を大きくする略
- 何かを見つけるというのは、その「見え声」を自分の目がひときわ高く「聞き届ける」ということ。
- たとえば砂浜をさまざまに見つめながら歩いて行くと、その砂粒やさまざまな漂流物が次々と視界に入ってくる。それらはわたしに見られることで「見え声」を上げるのだがひときわ高い「見え声」を聞き届けるようにわたしは砂浜から桜貝を見つける。
- 自分の視界にあるさまざまな見えるものは、見るもの(わたし)の注意が届くたびに「見え声(見られ声)」を大きくする。何かを探しながら視線をさまよわせるうちに何かが「見つかる」というのは、この「見え声」の聞き届けによるものだ。
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