- 「箱根路をわが越え来れば伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ(源実朝)」一気に目に飛び込んで来るような視覚対象の掴まえ方を的確に表現した好例。
- 港区は今夜0度まで下がるのだが、世田谷区は-2度まで下がるらしい。東京は広い。
- 書棚を片付けるなど
- ぼんやりした全体視(途切れ:裂け目)は、形相であると同時に意味である「実像」が、ある閾値を超えた発現強度となって視界に入ったときに視覚的な焦点を合わせる注視へと移行する。
- そして途切れ(裂け目:反省への準備)にあるとき、視覚は焦点から退けられる。ここではぼんやりとした全体視のもとで、「既に見えた」ものへの反省が深められると同時に、次の注視すべき焦点の探索が行われる。
- この途切れ(裂け目)は、いつも「文脈」を把捉し直すための立ち戻りであると同時に、現前のすべての現れに向けての「方向の切り開き」の決意を新たにする。ここにこそ、「見せる側」の工夫が向けられるべきだろう。
- 来場者的に見るものが絶えず反省しつつ見るものは、自分が来場した意味であり、それは「文脈の中で語られることば」しか探さない。しかし反省しつつ見ることは、つねに途切れつつ広げられており、その途切れ(裂け目)には「見る」ことへの準備がひそんでいる。
- 展示会場では、自社の関与する「業界」が「見えるもの」として示されつつ、それを来場者的に見るものの反省が絶えず喚起される。
- 展示会出展というのは、企業の日常的な商行為をその企業の「常態」として捉えるなら、「現在性」においてある特殊な高まりを持つ。
- 全国で伊達直人が増殖中だな。
- こどもたちに世界が開かれていく瞬間ですね。 RT@kacho007: いつも吹き替えでDVD観てるチビどもが字幕版を観はじめた。楽天行くか?
- プラトン「ゴルギアス」に出てくるカリクレスを思い出す。理解しようとしない者との闘いは無駄ではない。たぶんそれはどこかで芽を出す種まき。
- ある意味、「放置しておけない」のが哲学者の本質なのだろうな。
- このつきあいの良さには頭が下がる。 RT@jai_an: 私は全く感情的ではありません。必死になってあなたの言葉を理解しようとしています。 RT@hyperchondriaz: こういう感情的なやりとり、無駄だと思わないのですか。@jai_an 日本語の意味不明。
- 「新成人、最少の124万人(1970年は約246万人で約半数に)」小子化深刻。どんどん日本人口が減っていく。 http://bit.ly/etueJT
- あれはスペルでやるもんじゃなかったでしょうか。 RT@maznami: 英語の「しり取り」って、日本的発音でやっちゃダメでしょ。
- 対象の限界を知ること。 RT@ashinourada: 《「超越」って何?》RT@aoinatsunosora: 超越してますからね。 RT@jai_an: 「大物」と指摘できる者も小者ではない。 RT@ago_koyama: 「もっと大物」
- 超越してますからね。 RT@jai_an: 「大物」と指摘できる者も小者ではない。 RT@ago_koyama: 「もっと大物」「東ひろき」と続くでしょ…。ちょっと気の毒になってきた…。 RT@jai_an: 「ンな小物いじめてないで」 RT@Ago_Koyama
- @manatsuminori あると思いますよ。人生のうちで何度か見たくなる名作です。
- @manatsuminori 大作「天井桟敷の人々」はお薦めです。
- 横沢彪さん死去。ご冥福を祈ります。http://bit.ly/dZxEvB
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