2011年1月19日水曜日

2011-01-18

  1. さすがにデキサス2バーガーとクオーターパウンダーを一気に喰えるほど若くなくなったんだな、と実感。
  2. 昼に出かけて展示会の設営に立ち会い、家に帰るまでにすべて電子マネーのみで済んだので今日は現金を1円も使わず。日本って便利な国だなあ。
  3. さっき、渋谷でリアルに「郵便局はどこですか?」と尋ねられた。
  4. 展示会設営無事終了して帰宅中なう
  5. 日没。 http://twitpic.com/3r3vs0
  6. 移動中なう いざ横浜へ。
  7. 外出前にもろもろ充電中なう
  8. コミュニケーションと仲良しごっこは違う。
  9. 「コミュニケーション」というのは、その「問いかけとしての事実」としての双方が互いに答え合うこと。相手はあくまでも「事実」であり、有機体ではない。相手を殺し合う戦争は決してコミュニケーションではない。
  10. 「人間」というのは、文字通り「人の間」である。単体で存在することは不可能。自分の目の前のその人がいて、はじめて「自分」は人間になれる。そしてその「自分」というのはまた自分だけではありえない。問いかけに答えてこそ存在が可能となる。
  11. 生きているだけで、美しくて不思議さに満ちているのが人間ですよね。 RT@roko112: 正しくそうです。RT@aoinatsunosora: だからこそ、人間は美しい。
  12. 「人間の手を経たものではない美しさ」を持つ人間が、「人間の手を経た美しくない事実」のなかに美しい「人生」など探すのは滑稽なことだ。なぜ、みずから美しくないものへと降り行くのだろう。
  13. だからこそ、人間は美しい。
  14. そして人間そのものも、立ち揺れる草花と同様、人間の手を経て作られたものではない。
  15. たとえば、星々の輝く夜空や、雲海からのぼりくる朝日、立ち揺れる草花から感じる美しさは、人間の手を経た事実の中には無い。あるのはその模倣だけ。
  16. ただ、問いかけとしてある「事実」は大きく二つに分かれる。人間の手を経た事実と、それ以外の事実。人間の手を経た事実というのはおおむね美しくないものが多い。
  17. 「事実」というのは常に問いかけとしてある。そして「世界は事実の総体である(ウィトゲンシュタイン)」であるならば、世界は問いかけの総体に等しい。
  18. 「人生なんて無い論」
  19. そんな正体不明な「人生」を振り返ってもそこには何も無い。自分の後ろに道はない、自分の前にこそ道がある。
  20. 自分の「人生」がつねに他覚的であるように、とあるその他人の「人生」もそのとある人について誰かが見聞きしたものごとの集まり。その人とは関係ない、他の人から見た景色としての「その人」。
  21. 自分のしてきたことを思い出しても、そこに「人生」なんてない。あるのは誰も知らない、自分にしか意味のない勘違いした思い出だけ。
  22. 「人生」というのは常に他覚的なもの。自覚なんかできない。
  23. 明日の午後は横浜で仕込み。ひさびさのパシフィコだな。

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