2010年12月13日月曜日

2010-12-12

  1. 暮れゆく冬の休日に、男は静かに本を読み、女は静かに肉を切る。
  2. 「ボールが止まって見えた」という川上哲治の言葉について考えている。
  3. クリスマスプレゼンス。
  4. 「謎」というのは「ままならなさ」だ。ままならない度合いがそのまま謎の大きさになる。その対象に対して理解を深めるということが謎を解くための通路になる。その通路は幾通りもある。
  5. なぜかフジテレビが受信できない。アンテナかなあ。
  6. 「店(みせ)」は「見せる」であることに注意。
  7. バナナの叩き売りは、バナナに意味があったんじゃない。その啖呵売(たんかばい)にこそ皆が金を払った。現在の様々な広告表現も全て同じ根を持っている。
  8. 相手に何かを見せたいと思うなら、まず相手が何を見ているのかを理解しないと話にならない。「目の前に置きました」だけじゃぜんぜんだめ。
  9. 展示会場という特殊な場での来場者の目には何が見えているのか。ぼんやり見る目と、探す目との違い。見せたいものをどう見せれば、相手に見てもらえるのか。このあたりは書きたいことが多い。
  10. 夏からの「来場者とは何か」というシリーズの骨は「来場者を正しく見るためには漠然とした展示会という概念を捉え直さなければならない」という提起だった。見る・見せるについての概念を捉え直すような骨をどこに立てるかが勘所だろう。
  11. 展示会での「見る・見せる」について書くなら、やはり他者理解についての考察は外せない。どこまで踏み込むかのさじ加減が大事だろう。
  12. 夏からの連載記事の概要をまとめてみた。展示会来場者についての考察としてはまとまっていると思う。来月号からは「見る・見せるということはどういうことなのか」についての考察をシリーズで展開してみる。
  13. 「トートロジーは何も語らない」ウィトゲンシュタイン

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