ひとは、ひとと話をするときには、相手になりかわって聞きながら発話し、相手の話を聞くときは、相手の目で自分を眺めながら聞く。
その発話の間、聞く間に会話体という臨時ボディが出現する。
この臨時ボディは「波立ち」として出現しつつ、ラングという過去性とパロールという現在性の「間」を往復する。
その「波立ち」が強まるときに「現」は鮮やかに照らし出され、弱まるときそれぞれのボディが意識される。
話そうという決意からしか「臨時ボディ」は生まれない。
自身の身体性が拡張されていくプロセス。
そしてこの「臨時ボディ」は輪廓を持たない。
雑多な霧のような濃度として「波立ち」出現する。
また、ひとが目覚めている限り、この「臨時ボディ」を脱ぎ捨てる事はできない。
「臨時ボディ」のイメージは、彗星のダストテイルとイオンテイル。
その「テイル」を持った「臨時ボディ」を方向付けるのは「まなざし」。
メルロ=ポンティの「両義性」フレーム。
ひとはいつも、低濃度の「臨時ボディ」を身に纏って「世界」に「住まって」いる。
社会的な関係性への有機体としての関わっていきかたも、すべてこれで書き直すことができるのではないかと期待する。
2011年5月19日木曜日
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